パニック障害の私の最初の身体の異変。20歳の私。

現在33歳の私、オハマが一番最初に起きた身体の異変についてお話しします。パニック障害の最初の症状は様々ですが、やはり「ストレス・緊張・周辺環境」が大きく影響していると私は思います。

考えられる当時のストレス源

当時、私は日記を書いていた訳ではないので、必死に10年以上前のことを思い出してこのBlogを書いています。自分の記憶を遡ることでたくさんの「気づき」もあります。当時、ストレス源てなかなか思い浮かばなかったのですが、今思い返すとありました。

恐怖の歯科矯正

当時、大学3年生の私。それは突然に告げられました。

虫歯治療で通院していた歯医者さんに「まだ乳歯が残ってますね〜」それはそれはびっくりしました。

20歳なのにまだ乳歯がある?!レントゲンを撮っても永久歯がなかったため、私は乳歯を抜歯しました。そこで私には奥歯の3本がもともと生えてこない人間の進化版と告げられました。

そこから、その生えてこない歯の部分を埋めるために「歯科矯正」をすることになりました。といっても、完全に金属をはめた訳ではなく前段階の状態でした。

その歯医者さんに行くのがとても怖かったのです。約100万円も親に支払わせてしまう罪悪感。何年も金属を歯にはめる恐怖。痛さへの恐怖。

そうです。歯科矯正も私にとっては過度なストレスをかけていたのです。結局、パニック障害を発症し、電車通院できなくなったために歯科矯正は中途半端のままで何年も放置してしまうことになります…。

興味のない就職説明会 

当時、もう1つ考えられること。あの日は、大学3年生になり就職活動が始まりました。私は4年生の女子大学の通学し、ごく普通の、特に大きな夢もない、なんとなく大学に通学しているありきたりな大学生活を送っていました。

まだ20歳の私には自分が就職するということにピンと来ていなくて、就活にもあまり興味がありませんでした。しかし周りの友達に流されて、初めて東京ビックサイトで開催している合同説明会に友人と参加しました。

会場は物凄い人混みの中、なんとなく参加した私は、両手で数えることが出来るくらいの企業さんたちを適当に選び、説明を受けました。会場はすごい熱気で音も反響していました。

当然のように何も決めていない私は、企業説明はうわの空でボーっと聞いていました。

地下鉄で起こった最初の身体の異変

その帰りに渋谷で友人たちと夕飯を食べました。記憶を辿ると、この時に風邪のような症状があったので市販の風邪薬を服用しました。

自宅から渋谷までは約40分。帰宅時間は夜の22時くらいだったと思います。電車に約20分ほど乗っていた時に地下鉄の車内で異変は起きました。そんなに電車は混んではいなく、座っていました。

突然、心臓がバクバクと。最初、「なんだこれは?」と思っていたのですが、いてもたってもいられずとにかくがんばって乗り換えの駅までがんばりました。このときの初めての症状は忘れもしません。

なんとか乗り換えの駅に辿り着き、ホームのベンチに座り、すぐに母へ連絡。吐き気もあり電話で話すことがきつかったので、メールで連絡をしました。

運良くすぐ近くに駅員さんがいたのですぐに助けを求めて、事情を話しました。フラフラの状態ですが、歩いて駅員室まで歩いて横にならせてもらいました。

その時も心臓はバクバク。吐き気もあってとにかく気を紛らわせることに専念。

駅員室で休ませて頂いているとき、駅員さんに「不整脈ですか?」と聞かれたことを鮮明に覚えています。それだけ、不整脈の方が発作で運ばれることが多いのでしょうか…?

救急外来での診察

その日は父のも仕事が終わり帰宅している時間だったので、家族が車ですぐに迎えにきてくれました。

待つこと約30分…迎えが来るまでは気を紛らわしたくて、友人とメールをしたり、とにかく意識を他に向けることでいっぱいいっぱいでした。

ようやく到着してくれた家族の顔を見てホッとしました。両親は、歩くとふらふらする私の両腕を担がれてました。リクルートスーツを着て担がれる私。今思うと、シュールな光景ですね〜。

もう夜11時と遅い時間だったので、かかりつけの病院はどこもやっていないので、自宅近くの救急外来へそのまま行きました。その時はもう顔面蒼白で帰りの車の中はかなりきつかったです。

初めての異変だったので、車内のこと、駅員室の光景、家族が迎えてにきた時のこと、病院の光景を鮮明に覚えています。

救急外来の担当医は心電図と聴診器で診てくれました。特に異常は見られず…「疲れからですね〜」と薬も処方されませんでした。動悸もその頃にはおちついていて、さっきのはなんだったのだろう?と思っていました。

今思うと…

今振り返ると、私はその時の状況が色々とラッキーでした。その時はつらくて感謝の気持ちなんてなかったのですが、振り返ると感謝できることがあります。

「夜の地下鉄でも座ることができたこと。」
渋谷から夜の電車で座れることはラッキーですよね。座れることができたのでなんとか乗り換えの駅までたどり着くことができました。

「降りてすぐに座れるベンチがあって、駅員さんがすぐにいたこと。」
もしすぐにベンチがなかったらその場で倒れ込んで、おおごとになっていたと思います。

「家族が車ですぐに迎えにこれたこと。」
父が帰宅していなかったら、また電車に乗って帰宅するか、もしくはタクシーで帰宅するしかありません。どっちもきつい…家の車だから気を遣うこともなく、
横になって寝ることができました。

「2月で3月まで大学が春休み中だった。」
もし、長期休みではなかったら大学を休んで単位を落としてしまって留年していたか休学する選択になっていたと思います。無事に大学も単位を落とさずに卒業できたことも本当によかったと思っています。

何より、「ちょっとした体調の異変に気づいて乗り換えの駅で助けを呼んだ判断は最善だった。」
あそこで、家までがんばっていたら車内で倒れてしまって救急車。なんてことにもなっていたかもしれません。我慢しないで、あそこで無理だと判断して降りて助けを求めた当時の私に『がんばったで賞』をおくりたいです。