パニック障害で救急車?久しぶりのパニック発作に落ち込む私

「オハマのおはなし」第13話は、久しぶりの大きなパニック発作が起こったときのおはなしです。

前回のあらすじ
仕事を退職してからは、自宅の近所でアルバイトを掛け持ちして生活していた私。恋愛もして支えてくれる人もいたのだが…。

パニック障害で退職後のアルバイト生活と、当時の様子

2年ぶりの大きなパニック発作・・・

オハマ
毎日の予期不安や、できないことを避けての生活をなんとかこなし、パニック障害の薬を飲み始めてから2年が経ちました。こうやって文章にして書いていくとあっという間に時が過ぎていきますね。

2011年に入り、お付き合いをしている彼がいました。この頃は整骨院とデイサービスのアルバイトを掛け持ちしてフルタイムで働けるようになっていました。ただ、1年努めた整骨院でしたが、転職を決めた私。整骨院の受付で働いた経験を活かして、転職先も同じ内容の勤務先を探しました。

ここは古くからやっている接骨院。経験を活かして再度、受付勤務にしました。勤務時間は8時半から19時半まで。お休みは金曜日の午後と日曜日のみ。土曜日はデイサービスが8時半〜16時半まで働いていたので、1日休みは日曜日しかないというタイトなスケジュールでも働けるようになっていました。

そして、2011年3月11日の東日本大震災を東京で経験しました。

東京でもとんでもない揺れを感じ、本当にこわかったです。そんな震災は心の弱い私にはかなりの負担になりました。今でも当時、テレビから流れていた津波の映像は忘れられません。それから何ヶ月間は、ずっと震災セットと薬をリュックに詰めて通勤をしていました。薬は毎日服用していたので、必ず持ち歩くようにしていました。

パニック発作の症状と私の行動

忘れもしない、あれは4月のGWの前のことです。

会社員時代に大きな発作を起こして以来の、大きな発作が起きました。

当時の彼氏の家で日曜日の洋画劇場を観ていた時。突然、発作がやってきたのです。横になっていたのですが、急に身体がそわそわしてきたのです。本当に突然です。時間は21時過ぎだったと思います。

携帯をいじったり身体をつねってみたり気を紛らわすけど、どんどん動悸がしてきて冷や汗と手足と口がしびれてきました

「これはやばい!」と思ってテレビを観ていた彼氏に助けを求めました。

初めての私の発作を目の前にして慌てる彼氏。低血糖かもしれないので、ひとまず飴を持ってきてもらいすぐに口に入れました。そしてなぜか血圧計と温度計も登場。彼氏も慌てていた様子がわかりますね。血圧は異常に低かった記憶があります。

頓服薬を服用をしてもいつもは効くのにおさまらない…自己判断で「これはだめだ!」と思って、当時のかかりつけ心療内科に電話を入れました。時間は21時半位だったと思います。ソワソワしはじめた小さな発作から30分ほど経過していたと思います。

産婦人科の中に入っている心療内科なので、電話はつながりますが妊婦さんではない私。心療内科の主治医がこんな時間にいる訳もなく、電話対応してくれた方には「先生とは連絡はつきません。辛いようなら救急車を呼んで下さい。」と言われてしまう…。途方にくれました。

でも薬も効かず苦しくて死にそう…。誰か助けて…と心底思いました。

救急車を呼ぶ前に「救急相談センター」に電話した

知り合いの看護士さんに電話をすると、「頓服薬は何錠まで飲んでいいの?」と言われても答えられず…。

救急車を呼ぶこともよぎったのですが、救急車を呼ぶ前に電話をかける「救急相談センター」に電話をするようにアドバイスをもらったので電話をしました。

救急相談センターとは?
急な怪我や病気の際に、「救急車を呼んだほうが良いのかな?」と迷った際に電話をする相談窓口を、消防庁がやっています。

悩んだら絶対に電話した方がいいです。

電話番号:#7119

すぐさま教えてもらった「救急相談センター」に電話をしたら、何件か夜間救急で対応できそうな病院を教えていただき、その病院に自分で電話をしました。

今思うと、自分でよく電話できるもんだ…!ただ、病院に電話して「パニック障害で発作が出てしまったのですが、診ていただけますか?」と訪ねても、

「頓服薬を飲んでいるのなら様子をみてください。どうしてもつらければきてください。」「夜間救急で診れる専門医がいない。混んでいるので待ちますよ。」などの理由で2件電話をかけてもこんな対応でした。

結局救急車にも乗らず、発作は落ち着き

かかりつけの病院を含め3件の病院と電話やりとりをしていたら1時間ほど経っていました。そうしたら薬も効いてきたのか、発作が落ち着いてきたのです。そうなんです。パニック発作は何時間と続くことは私の場合はなかったのです。

発作を起こしながら、1時間以上の電話やり取りをして力尽きてぐったりの私。車で家に送ってもらってすぐに寝た記憶がありました。

でも、この時は死ぬほど苦しくてつらいのに誰も診てくれないと絶望し、発作が起きたときに頓服薬を何錠まで服用してOKなのか主治医にきちんと聞かなかった自分が悪かったと反省し、とにかく凹み疲労困憊の1日となりました。

仕事は2日ほど休ませもらいました。この接骨院で1年半勤務しましたが、休んだのはこの時だけです。発作が起きた次の日はカイロの先生は休診日だったのですが、事情を説明して診ていただきました。