「オハマのおはなし」第15話は、わたしがパニック障害と診断されてから、はじめて母の前で弱音を吐いたときのおはなしです。
本音を話すことで、母が理解してくれた
友人にも病気のことは素直に話して夜の地下鉄には乗らなかったし、電車に乗る時は頓服薬を服用したり、完全装備をして出かけていました。ただ、1日たりとも病気のことは忘れないし「パニック障害の私」が当たり前になっていました。自分でレッテルを貼っていたのです。(これは今となってわかったことです。)
この病気を患っていても、私が病気を患っていることは初対面の人はほとんどわからないと思います。基本、人と接するのは好きなので、明るく話すし、人前でつらいとか弱音をはくことはありませんでした。
大好きな福島の祖父母に母と会いに行った時に、帰りの新幹線と電車がきつくてどうしようもなくて帰宅してから、母にボロボロと泣きながら「もう辛い」と泣いたことがありました。自宅までの道のりは鈍行電車で約2時間。そこから新幹線で約2時間。そこから地下鉄で約20分の長旅です。
田舎に向かう途中は、祖父母に会いたい気持ちが勝ってなんとか到着したのですが、東京へ帰る時に体調を崩してしまったのです。
田舎からの帰り道に体調が悪くなり…
電車の中で気分を紛らわすために雑誌や本を買い込んで準備は万端!と思いきや…
いざ電車に乗って雑誌を読んでいても全然内容が入ってこなくなりました。むしろ「ソワソワ」が止まらなくなりました。手汗をかきはじめ、発作が起きないように自分を保つのに必死な状況となりました。
母が一緒にいたのですが、体調がおかしいとは言わないで極限まで我慢しました。
「体調が悪い」と言ってしまうと電車を降りなくちゃいけなくなるし、それを認めてしまうと余計に具合が悪くなる気がしてしまってとにかく時間が過ぎるのを待ちました。呪文のように「大丈夫」という言葉を繰り返しました。
頓服薬(ソロナックス)を服用すると、私の場合は30分以内に眠気がくるのですが、この時は逆に全く眠気がこなくてずっと電車の中で起きていました。やっとの思いでなんとか大きな発作が起きずに家に着きました。お昼頃の電車に乗って帰宅したのはもう夜ご飯の時間帯になりました。
夕飯を食べながら無事に着いた安堵感とまた襲ってくる不安感とまだ治らないという焦り。体調が良くなってきていると思っていたのに「どうして?また?」いろんな感情が入り乱れました。
家族の前で泣くことがない私。はじめて母の前で病気のことで泣きました。
母も私を出産した後に自律神経を崩して、似た症状を経験しているので辛さもわかってくれていて、一緒に泣いていました。「お母さんも治るから必ず治るよ!」と言ってくれました。2人で泣きながら夕飯を食べました。
その時の光景は今でも忘れられないし、母に対して「身体が弱くてごめんね。」という罪悪感の気持ちがこみ上げました。
やっぱり、私自身も病気を受け入れていたとはいえ、普通の生活をしたかった。もう発作への不安から解消されたい。という気持ちに限界がきていたのだと思います。