社会人2年目、アトピーの悪化から改善まで。再び身体に異変。

オハマのおはなし4

「オハマのおはなし」第4話は、社会人2年目(23歳)の頃、ストレスからか持病のアトピーが悪化したときのおはなしです。

前回のあらすじ

20歳のころ、地下鉄で起こった発作から「自律神経失調症」と診断され、東洋医学での治療で一時的に病気は改善しました。

西洋医学でダメ?東洋医学治療を受けて自律神経失調症が改善!

23歳、社会人2年目の私の環境

20歳の大きな発作から大きな発作も起こることもなく過ごしてきた私。「こんなこともあった~」くらいの気持ちでいたんですよね。具体的な病名がつかなかったし、すぐに電車も克服できたことが1番大きかったのと、母も私が小さい頃に子育て中に同じような症状で苦しんだ時期があったそうです。母は完治したので自律神経失調症はなる人が多いこともそこまでの不安に繋がらなかったのかもしれません。

それから、大学をきちんと卒業することができ、無事に就職もできました。就職先は有料老人ホームを経営している会社で勤務部署は営業職で働くことになりました。就職活動については、私だけ全然行動に移すことができず、友人の中で一番最後に就職先が決まりました。

有料老人ホームの販売営業

社会人になり、1人で電車移動で埼玉・横浜・千葉・東京を飛び回り、京都や大阪への出張もありました。新卒で入った会社。しかも配属先は営業部。特殊な仕事内容だったので、気を遣うこともかなりあり、ストレスはすごかったです。今思えば、なぜ私が配属先が営業職になったのか。それは、私の性格にあります。

自分でいうのはなんですが、気遣いは人より優れていると思います。無理して気づくわけではなく、勝手に気づいてしまうのです。相手の顔色を見れば、なんとなく気持ちが読めたり、何を求めているのかが分かってしまうのです。そして、明るいから人当たりがいいね。と言われることが多く、営業に求められる人材だったようです。

(これは今になり、なぜ自分がこういう体質だったのかわかるようになります。)

ただ、決して頭が言い訳でもなく、むしろ勉強は苦手だったし、就職した会社は福祉関係ですが、大学で福祉を勉強した訳ではなかったので、他の同期に比べたら全然仕事はできなかったです。

同期が口を揃えて営業部には配属されたくない!と言われていた部署に配属された私。同期で早く内事を頂いた時は自分の能力をかってくださったことが嬉しいのと、自分が何千万円という高額の有料老人ホームを販売するプレッシャーは相当なものでした。

当時、「私は福祉の知識がない」「全くパソコンを使うことができない」「方向音痴」のトリプルパンチで泣きながら仕事をしたことも多々ありました。福祉の知識がなければ、もちろん信用なんて頂けない。必死に本を読んだり、現場に行って怖い先輩からお話しを聞いたり…。とにかく知識を埋めることで必死の毎日でした。

パソコンが出来ないのは本当に致命的。営業なので自分で広告を作成するのですが、Wordですら使いこなせない私が広告を作ることさえできない。メールのフォルダー分けさえできない。そんな私が営業職をやっていたなんて今思うと本当によくやっていたなぁと思います。

さらに、私は極度の方向音痴です。地図は読めないし、書くことさえもできません。(10年ほど前なので、Google Mapなんて当時の私は知りませんでした。)

でも1人で知らない土地を営業まわりをしなくては行けなかったので、地図片手に自転車で病院まわりをしたこともありました。方向音痴過ぎて畑のど真ん中に行ってしまって帰り道さえわからず途方にくれ、件数をまわれず先輩に怒られて号泣したこともありました。

そんなはじめてづくしの毎日。新入社員だったら当たり前ですよね。覚えることに必死。ついていくことに必死。ただ、時間が経てば成果が求められる。営業は会社の要です。だから販売できなければ、部署会議で絞られるわけですね〜。

毎日100件近くのテレアポをしたり、現場の案内やら、DMの発送などなど。思いつくことは全部全力でやってました。この全てを全力でやってしまうことが仇となることになります。営業職に配属されて半年経った頃から胃炎になること多々ありました。午前中に病院に行ってそのあと出勤。それだけ、当時はとにかくがむしゃらだったのです。とにかくずっと気を張っている状態が続いていました。

突然のアトピーの悪化

仕事をがんばればがんばるほど、もともとの持病のアトピーが悪化しました。

ひどいアトピーは小学4年生の頃から発症して、最初はひざの裏やひじなどにアトピーが出てきました。皮膚科にも通院しましたが、ステロイドを処方されるのみ。何件も病院を変えても薬を処方されるのみ。最終的には大きな総合病院の皮膚科にまで行きましたが、結果的には同じでした。

一時的に強いステロイドを使うと良くなっても、またかゆくなってしまうループをずっと繰り返し、そしてどんどん強いステロイドが処方されていく…。でも、大きい病院の先生が処方してくれる薬を塗ればよくなると信じていた私は、それを塗る。その時は良くなってもまた悪化する。というループでした。

アトピーを治すために病院は約10件ほどは行ったかな?それくらいどこに行っても、大きな病院に行っても治らなかった訳です。例え、大きな大学病院を受診しても結果は変わりませんでした。しかも、皮膚科で男性の先生からセクハラみたいなこともされ、どんどん皮膚科に行きたくなくなっていました。今思うと訴えても良いレベル。でも当時の未成年の私は1人で受診して、看護士さんもいなかった記憶があったので、先生と2人きりでただただ怖かったです。

営業職なので、服装は基本はスーツです。アトピーがひどくなった私はストッキングを履かなくてはいけなくなりました。これが本当につらかったです。化学繊維で、とにかく蒸れてかゆい。特におしりに湿疹がひどかったので、かゆさに耐えられずトイレへ駆け込み、手が血だらけになるまでかくこともありました。

さらに朝起きると手が血だらけになっていたり、かゆさで寝れず、保冷剤を患部に当てて寝ることも普通でした。この頃から痒さもあって睡眠は浅かったです。

痒くて寝れないのも辛かったのですが、湿疹が見えるところに出てしまうことが辛かったです。幸い、顔に出ることはなかったのですが、膝の裏やひじの裏は夏場に患部を人に見られるのが辛かったです。顔に出ないので、アトピーと気付かれなかったのですが、コンプレックスはありました。

家族と温泉に行っても患部がひどすぎて温泉に入ることさえできませんでした。むしろ、おしりの湿疹がひどかったのですが、病院の先生にさえひどすぎて患部を診せることさえも拒否したくらいです。

家族ですら、私のひどい患部をみせることさえできないほどひどかったし、心配かけたくないという思いがあって誰にもみせずにずっと過ごしていました。それくらいひどい状態だったのです。

こうやって振り返り、文章にすると私はストレスの塊ですね!よくがんばっていたねって声をかけてあげたいです。

東京から仙台へ通院して克服

たまたま、会社に先輩に化学物質過敏症の方がいて、仙台の病院を紹介して頂きました。当時、月に1度東京から新幹線で仙台への通院をすることになりました。交通費も往復相当かかります。その病院は化学物質過敏症の子どもたちが通院できるように、建物にもこだわりを持った病院です。

先生は一言でいうと厳しい先生。毎回、問診票を記入しなくてはなりません。部屋のそうじの頻度や布団の掃除機の頻度など毎回聞かれます。毎日、布団に掃除機をかけなくてはならなかったのです。これが地味にきつかったです。身体のこととはいえ、仕事でいっぱいいっぱいの私にはとてもつらかったです。

そして、血液検査でアレルギーの原因を調べました。その頃に数値が出たのが、

(食べ物)小麦・えび・ごま・そば・アボガド・バナナ・ナッツなど

(食べ物以外)ダニ・スギ・ヒノキ・ハウスダスト・ゴムなど

と、かなりたくさん出ました。もっと詳しい検査結果が出ましたが、今は割愛させていただきます。

アトピーを食事療法で克服

このアレルギー食材を全て除去した食事指導が始まりました。「外食は基本NG。」外食先の油がだめとのことでそれが毛穴から出てくると言われました。(うろ覚えの部分もあります。)

そして、なるべく大きな動物のものは食べずに、飼料もちゃんとしたところで育った豚肉を食べること。魚も大きなものではなく、しらすや旬な魚を食べること

仙台の病院に通院中は、外食は一切せずにすべてお弁当を持参しました。大好きなパンも我慢。パスタやうどんも我慢。小麦を除去した食事が一番つらかったです。この頃は、グルテンフリーという言葉もなかったし、米粉パンなんてなかったです。

外回りしていても外食もできなかったり、薬の副作用で眠気が出てしまったり、通院のために会社を休んだりしてしまいしたが、病院を紹介してくれた先輩がいてくれたおかげで、上司や先輩やまわりの理解もありとても助けられました。

アレルギー用の飲み薬も飲んでいて副作用で強い眠気や頭がぼーっとする時もあり、そういう時は上司に相談して少し休ませてもらうこともできました。今思うと、こんなに理解してくれる会社ってなかなかないと思います。本当に感謝しています。

投薬治療と、食事療法の他には、患部の消毒をしました。これがまた地味にしんどかったです。ヘトヘトで帰宅してから、除去食事を作って、残った仕事をして、入浴したら患部の消毒。朝は掃除。自分のため、治ると思っていても見えないトンネルにいるようで本当にきつかったです。この頃は痒みで寝れないことも多く、中途覚醒をしてしまう睡眠障害もひどかったです。

そんな生活を半年ほど「投薬治療・除去をした食事・そうじ」と繰り返したら…なんと!あんなに掻きむしったアトピーの痒さが軽減してきたのです。半年でこれだけ成果が出るってすごいことです。どれだけ病院をまわったことか。大学病院も紹介してもらったこともあるけれど、結局はステロイドの処方のみ。「食事がいかに大切なこと」ってことがよくわかりました。

「痒さ」って「痛さ」も辛いけど、本当に辛いんです。とにかく我慢との闘い。1度掻いたら止まらなくなる。けど掻かないと気が狂いそうになる。置きてる間は保冷剤で冷やしたり、お風呂の時は熱湯をかけたりしました。起きている時はなんとかごまかせても寝てる間は手を掻かないように縛っておかなきゃいけないほど痒い。

仕事をしながらの仙台までの通院・毎日の掃除・布団の掃除機・外食禁止・除去食事・患部の消毒と薬はきつかったですが、痒さが軽減されると、普通のことがとてつもなく嬉しい!「痒くて朝まで寝れることが幸せ」「トイレに駆け込んでかかなくていいことが幸せ」「患部が血だらけにならないことが幸せ」「これ以上患部を掻いて傷にならないことが幸せ」書いていても涙が出てきます。

小学4年生からのアトピー生活に終止符を打てることになります。10歳〜23歳までの「13年間痒さに苦しんだ生活を終える年」となりました。アレルギーのお話はまたさせていただきます。

ただ、アトピーが良くなってきたと同時にまたあの病魔が私を襲います…。

私が実際に改善したアトピー治療のポイント

私が当時行った治療法を簡単にまとめます。

  • アレルギー食材の排除=食事療法
  • 外食をしない(良くない油を摂取しないため)
  • 毎朝の掃除(ダニ・ハウスダスト対策)
  • 投薬治療
  • 塗り薬(幹部の消毒をしてから、処方された塗り薬)
私に医学的な知識はありません。ただこれを徹底的に行い、半年でアトピーは改善してきました。※治るスピードも個人差があると思います。