「オハマのおはなし」第9話は会社を退職後のアルバイトと、新しい病院に行ってみようというお話です。
退職後のアルバイト生活
電車に乗れない生活は相変わらず続いていて、予期不安(いつ発作が起きるかわからない不安感)や倦怠感が続き、食欲もなく体重はかなり落ちました。
引き続き、心療内科や精神科には通院せず、カイロの先生のところには通院して治療は「カイロプラティック」のみでした。
正社員として勤めていた会社を退職しましたが、働かないわけにはいかないので、大学生の頃アルバイトをしていた自宅の近所の飲食店で再び働かせていただけることになりました。
週1回のアルバイト中も途中で具合が悪くなり、早退させていただくこともありました。居酒屋だったので、夕方から忙しい時は夜中の12時くらいまで。暇な日は21時くらいに帰らせていただくこともできました。
そこを経営しているご夫婦は家族のように私を迎えてくれたので、体調が悪くなり途中で帰る私を責めることなくいつも優しくしてくださいました。
今でも本当に感謝しています。
その後、アルバイト先をもう1つ増やしました。そこも大学時代からお世話になっていた高齢者デイサービスです。スタッフの方も昔から知ってる方ばかりで、そこでも週1回働かせていただくことになりました。勤務時間は朝の8時から夕方の16時まで私にしては長丁場でしたがなんとか働きました。ここでネックだったのは利用者のみなさんと一緒に昼食を食べることです。
食欲がない私は高齢者のみなさんより量が食べれない…当時、お茶碗いっぱいのごはんを完食することができませんでした。残すとみなさんに心配かけてしまうし、昼食の時間は結構気を遣う時間でもありました。
私は実家暮らしだったために、家賃や食費がかかることがなかったので、まずは週2回のアルバイトでなんとかカイロの治療費などは親に頼らずやっていこうと思っていました。
あの時、ひとり暮らしをしていたらどうなっていただろう?と、ふと思う時もあります。体調が悪い中で働くことはとても大変です。しかも、通院や治療のために休まなくてはいけない日や体調が優れず行けない日だってあります。
そう考えると私は自分のペースで生活することができたこと、感謝しなくてはいけないと思っています。
心療内科へ再度受診を決める
ストレス源であっただろう、アトピーも良くなり退職することで会社へのストレスがなくなったはずなのに、体調は劇的に良くなることはありませんでした。
「パニック障害」という病気のレッテルを自分でも貼ったことで、「私は病気なんだ。」と思い込んでいた部分もあると思います。
でも、その当時の私は全くそのことに気づいていなくて、友人や職場にも「私、パニック障害という病気なんです。」って包み隠さず話していました。友人には私の住むところまで来てもらうことも多かったし、自ら電車に乗ることはできなかったし、友人にも伝えていたので私の行動範囲はかなり狭くなりました。
でも、退職して電車に乗らない生活を送っても体調がなかなか良くならず、きちんと心のケアもしないといけないと思い、バスで通院できる心療内科を知人から紹介してもらいました。
ここは産婦人科の中にある心療内科で女医さんなので話やすいかな?と思い、ここに決めました。