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	<title>家族 &#8211; パニック障害のおはなし｜オハマの体験談</title>
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	<description>パニック障害の体験談と対処法</description>
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		<title>大好きな祖父が入院したことで、うつのスイッチが…</title>
		<link>https://ohama-panic.com/ohama-story26/</link>
				<pubDate>Tue, 10 Mar 2020 11:37:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[OHAMA]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[オハマのおはなし]]></category>
		<category><![CDATA[家族]]></category>

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				<description><![CDATA[オハマのおはなし、第26話は大好きな祖父が入院することになり、母の田舎の福島県に急遽行くことになった話です。 祖父の入院にて福島県に駆けつけました この頃、福島に住む祖父の体調が悪くなり入院をしてしまいました。 容態もあ...]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<p>オハマのおはなし、第26話は大好きな祖父が入院することになり、母の田舎の福島県に急遽行くことになった話です。</p>
<div class="c_box intitle pink_box type_normal"><div class="box_title"><span class="span__box_title">前回のあらすじ</span></div>結婚、引っ越し、妊娠発覚と連続して大事件が連発。そして流産。妊娠が発覚してからは断薬していたので、離脱症状とショックで私の精神状態はボロボロでした。<br />
<a href="https://ohama-panic.com/ohama-story25/">流産直後に引っ越ししたら完全に精神状態が悪化…。</a></div>
<h2>祖父の入院にて福島県に駆けつけました</h2>
<p>この頃、福島に住む祖父の体調が悪くなり入院をしてしまいました。</p>
<p>容態もあまり良くなかったので、会いに行くことになりました。私自身もボロボロでしたが、そんなことも言ってられない状況で新幹線に乗ってお見舞いに行きました。</p>
<div class="voice cf l"><figure class="icon"><img src="https://ohama-panic.com/wp-content/uploads/2019/03/ohama.jpg"><figcaption class="name">オハマ</figcaption></figure><div class="voicecomment">ちょっとこの頃の私も極限で記憶があまりないのが正直なところです。</div></div>
<p>お見舞いに行った時、祖父の状態は管だらけで酸素マスクをつけて意識もありませんでした。そのことが受け入れられなくて、泣いたことだけは覚えています。</p>
<p>祖父の状態が良くないことはすぐにわかりました。しばらく福島県に滞在し様子をみました。私も体調が悪化して胃腸にダイレクトにきてしまい、下痢も続きトイレにこもることも多かったです。</p>
<p>でも、祖父がそんな状況だったので私も体調が悪いなんて言えなかったので、必死に耐えました。</p>
<h3>東京へ帰還</h3>
<p>1週間ほど福島に滞在し、奇跡的に祖父の体調が安定してきたので東京に帰りました。どうやって帰ったかどうしても思い出せません…。</p>
<p>祖父の入院がきっかけで「死」について考えることが多くなってしまいました。</p>
<p><strong>祖父の生きるか死ぬかの状態を目の当たりにしたことで、私のうつ状態にスイッチが入ってしまったようでした。</strong></p>
<p>日中家にいると、祖父が苦しんでいるのなら私が代わってあげたいと思うことが増えました。大好きな祖父だから余計にその気持ちが強かったんだと思います。</p>
<p>夫は仕事で自宅には不在。私は仕事もしていなかったので、時間はいくらでもある。1日中そういうことばかりが頭の中でぐるぐるしていました。</p>
<p>でも、自分が精神状態がおかしい？とはあまり思っていなくて、自分の状態を夫や家族、友人に話すことはありませんでした。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>パニック障害の私が母に打ち明けた心境と、友人からの傷つく言葉</title>
		<link>https://ohama-panic.com/ohama-story19/</link>
				<pubDate>Mon, 09 Sep 2019 11:24:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[OHAMA]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[オハマのおはなし]]></category>
		<category><![CDATA[パニック障害]]></category>
		<category><![CDATA[友人]]></category>
		<category><![CDATA[家族]]></category>

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				<description><![CDATA[オハマのお話第19話は、初めて母に話した心の声と、仲の良い友人から受けた傷つく言葉についてです。 パニック障害を隠すことはしていなかったけど 私は自分の病気のことを友人にも病気のことは包み隠さず正直に話していました。隠す...]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<p>オハマのお話第19話は、初めて母に話した心の声と、仲の良い友人から受けた傷つく言葉についてです。</p>
<div class="c_box intitle pink_box type_normal"><div class="box_title"><span class="span__box_title">前回のあらすじ</span></div>10年ぶりに会った高校時代の友人たち。そこでのちに夫となる男性と再開。福島→北海道と、パニック障害の影響で東京生活から田舎暮しを決めたタイミングでした。</p>
<p>しかし何度も会ううちに突然の告白。どうしよう。<br />
<a href="https://ohama-panic.com/ohama-story18/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">田舎に移住を決断したタイミングでの夫との出会い</a></div>
<h2>パニック障害を隠すことはしていなかったけど</h2>
<div class="voice cf l"><figure class="icon"><img src="https://ohama-panic.com/wp-content/uploads/2019/03/ohama.jpg"><figcaption class="name">オハマ</figcaption></figure><div class="voicecomment">今回は友人であった彼に告白をされ、福島に移住をする直前のお話です。</div></div>
<p><span style="font-weight: 400;">私は自分の病気のことを友人にも病気のことは包み隠さず正直に話していました。隠す方もいると思いますが、私は電車に乗れなかったので、友人にも職場にも話していました。友人たちは、私の地元まで友人が会いに来てくれたり、少しの時間なら電車に乗れたので、その距離で待ち合わせをすることも多かったです。</span></p>
<p>理解してくれる職場の方や友人がいたことはとてもありがたかったと思います。</p>
<p><span style="font-weight: 400;">出かける時は夜の地下鉄には乗ることを避けました。どうしても大きな発作のことがフラッシュバックしてしまうので、乗る時は昼間限定にして、地下鉄も避けていました。どうしても乗る時は頓服薬を服用したりと、完全装備をして出かけていました。ただ、1日たりとも病気のことは忘れないし、「パニック障害の私」が当たり前になっていました。</span></p>
<p><span style="font-weight: 400;">この病気を患っていても、私が病気を患っていることは初対面の人はほとんどわからないと思います。見た目ではわからない病気ですし、人と接するのは好きなので明るく話すし、人前でつらいとか弱音をはくことはありませんでした。</span></p>
<h3>初めて母に向けた私の弱音</h3>
<p><span style="font-weight: 400;">1福島の祖父母に母と会いに行った時に、帰りの新幹線と電車がきつくて発作が起きるか起きないかのギリギリラインがずっと続きました。でも、具合が悪いというと、発作が起きてしまいそうだったので、隣にいた母にはそのことは伝えずに雑誌を読んで気を紛らわしたり、とにかく必死でした。</span></p>
<p><span style="font-weight: 400;">やっとの思いで帰宅し、限界がきてしまった私は、母にボロボロと泣きながら「もう辛い…」と泣いたことがありました。はじめて母の前で病気のことで泣きました。今まで誰にも弱音を吐いたこともなかったし、誰かを責めたこともありませんでした。</span></p>
<p>私は、なぜか家族の前で泣くことに抵抗があり、あまり家族の前で泣いたことがありませんでした。母は私の泣く姿を見てびっくりしたと思います。</p>
<p><span style="font-weight: 400;">母も私を出産した後に自律神経を崩した期間があり、同じように動悸や過呼吸になったことがあり、辛さもわかってくれるので一緒に泣いていました。「お母さんも治ったから必ず治るよ」と言ってくれました。</span></p>
<p><span style="font-weight: 400;">その時の光景は今でも忘れられないし、母へ「身体が弱くてごめんね。」という気持ちがこみ上げました。私自身も病気を受け入れたとはいえ、やっぱり普通の生活をしたかった。発作への不安からいい加減に解消されたい。という気持ちに限界がきていたのだと思います。</span></p>
<h3>幼なじみから言われた一言に傷つく</h3>
<p>そして、この頃、地元の友人3人で仲がよかったのですが、3人でごはんを食べて色々と話をしていたときに、友人の1人が私に対して、「オハマちゃんは病気を武器にしているよね」とさらっと言われました。</p>
<p>友人は私の何を感じてそんな発言をしたのか、未だにわからないのですが、当時の私は怒りとショックで言葉を失いました。こんなに辛いのに、それを武器にしていると言われて、「それなら変わってくれよ！」と言い返したかったのですが、穏便に済ませたい私はその場は反論しなかったです。</p>
<p>このことがきっかけでその友人と距離を置くようになってしまいましたが、今なら彼女がいうこともわかります。知らずしらずのうちに私は「病気の私」というレッテルを貼っていたのです。</p>
<p>でも、当時の私にはそんなことを思う余裕すらなく、ただただ悲しかったです。</p>
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										</item>
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		<title>はじめて家族の前で弱音をはいて涙する。</title>
		<link>https://ohama-panic.com/ohama-story15/</link>
				<pubDate>Mon, 11 Mar 2019 09:23:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[OHAMA]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[オハマのおはなし]]></category>
		<category><![CDATA[パニック障害]]></category>
		<category><![CDATA[家族]]></category>

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				<description><![CDATA[「オハマのおはなし」第15話は、わたしがパニック障害と診断されてから、はじめて母の前で弱音を吐いたときのおはなしです。 本音を話すことで、母が理解してくれた 友人にも病気のことは素直に話して夜の地下鉄には乗らなかったし、...]]></description>
								<content:encoded><![CDATA[<p>「オハマのおはなし」第15話は、わたしがパニック障害と診断されてから、はじめて母の前で弱音を吐いたときのおはなしです。</p>
<div class="c_box intitle pink_box type_normal"><div class="box_title"><span class="span__box_title">前回のあらすじ</span></div>彼氏の自宅でくつろいでいるときに、突然襲ってきた大きなパニック発作。</p>
<p>彼氏やご両親に私の病気を受け入れてもらえず、破局。</p>
<p><a href="https://ohama-panic.com/ohama/ohama-story14/">パニック障害が原因で失恋…理由は「健康じゃないから」</a></div>
<h2>本音を話すことで、母が理解してくれた</h2>
<p><span style="font-weight: 400;">友人にも病気のことは素直に話して夜の地下鉄には乗らなかったし、電車に乗る時は頓服薬を服用したり、完全装備をして出かけていました。ただ、1日たりとも病気のことは忘れないし「パニック障害の私」が当たり前になっていました。自分でレッテルを貼っていたのです。（これは今となってわかったことです。）</span></p>
<p><span style="font-weight: 400;">この病気を患っていても、私が病気を患っていることは初対面の人はほとんどわからないと思います。基本、人と接するのは好きなので、明るく話すし、人前でつらいとか弱音をはくことはありませんでした。</span></p>
<p><span style="font-weight: 400;">大好きな福島の祖父母に母と会いに行った時に、帰りの新幹線と電車がきつくてどうしようもなくて帰宅してから、母にボロボロと泣きながら「もう辛い」と泣いたことがありました。自宅までの道のりは鈍行電車で約2時間。そこから新幹線で約2時間。そこから地下鉄で約20分の長旅です。</span></p>
<p>田舎に向かう途中は、祖父母に会いたい気持ちが勝ってなんとか到着したのですが、東京へ帰る時に体調を崩してしまったのです。</p>
<h3>田舎からの帰り道に体調が悪くなり…</h3>
<p>電車の中で気分を紛らわすために雑誌や本を買い込んで準備は万端！と思いきや…</p>
<p>いざ電車に乗って雑誌を読んでいても全然内容が入ってこなくなりました。むしろ「ソワソワ」が止まらなくなりました。手汗をかきはじめ、発作が起きないように自分を保つのに必死な状況となりました。</p>
<p>母が一緒にいたのですが、体調がおかしいとは言わないで極限まで我慢しました。</p>
<p>「体調が悪い」と言ってしまうと電車を降りなくちゃいけなくなるし、それを認めてしまうと余計に具合が悪くなる気がしてしまってとにかく時間が過ぎるのを待ちました。呪文のように「大丈夫」という言葉を繰り返しました。</p>
<p>頓服薬（ソロナックス）を服用すると、私の場合は30分以内に眠気がくるのですが、この時は逆に全く眠気がこなくてずっと電車の中で起きていました。<span style="font-weight: 400;">やっとの思いでなんとか大きな発作が起きずに家に着きました。お昼頃の電車に乗って帰宅したのはもう夜ご飯の時間帯になりました。<br />
</span><span style="font-weight: 400;">夕飯を食べながら無事に着いた安堵感とまた襲ってくる不安感とまだ治らないという焦り。体調が良くなってきていると思っていたのに「どうして？また？」いろんな感情が入り乱れました。</span></p>
<p><span style="font-weight: 400;">家族の前で泣くことがない私。はじめて母の前で病気のことで泣きました。</span></p>
<p><span style="font-weight: 400;">母も私を出産した後に自律神経を崩して、似た症状を経験しているので辛さもわかってくれていて、一緒に泣いていました。「お母さんも治るから必ず治るよ！」と言ってくれました。2人で泣きながら夕飯を食べました。</span></p>
<p><span style="font-weight: 400;">その時の光景は今でも忘れられないし、母に対して「身体が弱くてごめんね。」という罪悪感の気持ちがこみ上げました。</span></p>
<p><span style="font-weight: 400;">やっぱり、私自身も病気を受け入れていたとはいえ、<strong>普通の生活をしたかった。</strong></span><span style="font-weight: 400;"><strong>もう発作への不安から解消されたい。</strong>という気持ちに限界がきていたのだと思います。</span></p>
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